Kiyoko's Blog

ビーズデザイナーKIYOKOのブログです。2011年6月から沖縄で生活しています。育児ブログになりつつありますが、よろしければお立ち寄りください。作品はこちらからご覧いただけます。⇛http://www.asian-bloom.com

悲願の映像


今日はとてもいいことがありました。

ずっと長い間、手に入れたいなァと思っていた映像のフィルムが
もしかしたら手に入るかも!!

可能性が出てきたのです。

何のフィルムかというと、私の家族が30年前に
テレビ(TBS)に出た時の映像ですっ!!

その時わたしはまだ2歳。

まったく覚えていないのですが、小学校に上がったときに
友達のお母さんや学校の先生などに、

「テレビ見たよっ」

と声をかけられることがよくあったのです。

まだ幼い私は、「???」
きょとんとするばかり。

でもあえて、「ねぇ、テレビに出たの?」と家族に聞いたりはせずに、
心の中で、

テレビに出たことと、誰もがうちはベトナムって知ってることは
きっと関係してるんだ。

と思っていました。

父が日本人で、母がベトナム人ということは、ハーフで、
茨城県の東海村ではそういうことはまだ珍しかったので
なんとなく児童たちの視線が違っていることがありました。

でも、そんな幼子にとってもっと寂しいのは、
大人が差別の態度をとること。

頻繁ではなかったけれど、私と自分の子供が遊ぶのをあまり
よく思っていないお母さんがいました。
特に自分の子供を学習塾にたくさん通わせているようなお母さんは
そうだった。。。。くすん。

ま、それはいいとして^^;

我が家がテレビに出たというのは、

昭和55年5月28日放送の、

「父さんのふるさとにやってきた」

という番組名です。

私の父というのは、第2次世界大戦の兵士だった人で、
なんと大正6年生まれ。
私が8歳の時、67歳で他界してしまったのですが
もし生きていたら91歳の父なわけです。

戦争が終わったあともベトナムの地が気に入ったので
そのまま住み続け、現地で世帯を持ちました。

でもベトナム戦争はまだまだ最近のこと。

1975年にベトナム戦争が終わり、77年に私が生まれ、
戦後の混乱の中で外国人迫害などもあり、
家族そろって日本に帰化したのです。

その時父は60歳、母は31歳、姉は6歳、兄は3歳、
私は1歳でした。

この時は家族5人で帰国したわけではなく、
父の前妻の娘夫婦とその娘、
合計8人で帰国しました。

「父さんのふるさとにやってきた」

は、そんな背景の私たち家族が、茨城県の東海村で
どんな生活をスタートし始めたか、

そんな内容を特集したドキュメンタリーのようです。

もちろん撮影の時、私はまだ2歳だったので記憶は
まったくありません。

私の一番の目的は、

「動いている父を見たい!!!」

ということにつきます。
私が8歳の時に亡くなったので、父の記憶が乏しいのです。。。汗

話がごちゃごちゃしちゃいましたが、

そういう内容の番組に出たことは分かっていても、
肝心のフィルムがない!!

母に聞いても親戚に聞いても
「フィルム、、あったような、ないような、
どうしたかなァ。。もともとなかったんじゃないかァ?」

とじいちゃん。(父の弟)

姉に聞くと、
「実は私も以前きになってTBSに連絡したんだよ~、
でも散々な対応されちゃってねぇ、、、そんな古いの、無理です!
ってきっぱりだよ。。。」

とのこと。

そんな折に、ある手紙を発見したのです。

それは当時のディレクター藤原さんから父宛ての一通の手紙。

「先般は私共の制作するテレビ番組、父さんのふるさとにやってきた
に、多大なるご協力をいただきまことにありがとうございました・・・・・」

という丁寧な文章から始まって、
番組の放送日時をお知らせする内容と、謝礼のお手紙でした。

そして手紙の後半に、

「この番組のコピーは必ずお送りします。また、帰国した際のフィルムも
TBSにかけあってお送りできるよう努力しています。いずれも私が責任をもって
やります」

と書いてありました。

それを読んで私は、
あァ、、きちんとしているし、フィルムはきっとちゃんと送ってもらったんだ。。
うちがだらしないからきっとどこかに無くしちゃったんだ。。一度もらったものだし
また欲しいと言っても無理なんじゃないだろか。。
と思いました。

でもやはり見たい!!

と思い、思い立って今日、
私はTBSに電話をしてみました。

やっとたどり着いた電話先は「視聴者センター」という部署。

・・・・しかし、、、、

結果は散々でした。。--;

散々なんてもものではなく、相手の対応は
すっかり私を落ち込ませるもの。

どうしてあそこまでひどい対応ができるのか不思議なくらいです。

そういえば、姉も問い合わせたとき散々だった、と言っていたのを
思い出しました。。(ちなみに姉のときは手紙もない状態だったので
仕方ないといえば仕方ない。。)

それにしても、手紙にしっかりと当時のプロデューサーやディレクターの
フルネームが書いてあるし、私はいけるかな?と思ったのに、甘かったです。。
相手は「なにしろ相当古いファイルですので、」
の一点張り。。

直接プロデューサーさんたちとコンタクトをとれたいいけれど、
TBSのあの対応じゃきっと
「個人保護法」をたてに何も教えてくれないだろうと思うと、
もう無理なのかなァ、、と私は弱気になりました。。

すると夫が帰宅したので、事情を説明すると、
夫はネットを開いてディレクターの名前「藤原道夫」と入力して検索をし、

「藤原さん、今はすごく偉い人になってるよ、会社の社長さんで
しかも東洋大学で講義もしてるね。」

と言うではありませんか!

そんなワザがあるなんて!目からうろこっ。検索すりゃいいじゃん!!

大学の先生もしてる、と聞くだけで、なんだかコンタクトを取るのが
簡単そう!と気持ちが明るくなりました。

そして夫はさっそく電話!

・・・・・

女性が出たので簡単に事情を説明すると、

「社長ならすぐ近くにおりますのでちょっとかわりますね。」

ということですぐ応対!

事情を話すと、

「いやァ~、覚えているよ。僕が作った作品だもの。
ふみちゃん元気?」

ちなみに「ふみちゃん」とは、姉の文子です。

「父さんのふるさとにやってきた」では、
かなり姉にスポットをあてているので、藤原さんは姉のことを
ずいぶん気にかけてくださっていました。

「ふみちゃんに着物を着せてさ、僕だっこしてあげたんだよね~」

など、

藤原さんは本当に細かいことまでよく覚えていらして、
30年も前のことなのに、
私はもう、胸がいっぱいで電話で話してる夫のかたわらで
うるうるしていました。

途中、私が電話をかわり、父が67歳で亡くなったことを告げると、

「あの撮影から数年しかたってないじゃない、、、」

とショックを受けているご様子でした。

「お母さんは元気?」

「ええ、とても元気です。おかげさまで。」

「お母さん、もうけっこうな年でしょう。」

「ええ、まァ、もう62です。」

「え?そんなもん?・・・ってことは?あの時33歳?!
あ、、、そっか、、」

(確かに33歳にしては、、、)と私も思う。

とにかく、

藤原さんはフィルムをなるべく早めに探してくださるそうで、
もう私はうれしくて胸がいっぱいです。
さらに、ずうずうしくも今度お話をうかがいにいってもよいか
たずねると、快くOKしてくださいました。

その後、姉と母にそれぞれ連絡をしてそのことを伝えると、
二人とも興奮でいっぱい。
感激と大喜びではしゃいじゃいました。^^

姉は「あたしも藤原さんに会いに行きたい!!」と大喜び。

さらに、藤原さんの手がける番組が海外の貧困を背景にしたものや
歴史的なものも多いことから、興味の分野がぴったりと、
ますます藤原さんに興味を抱いているようでした。

それにしても、藤原さんのあの電話の感じや、あんなにも前のことを
きめ細かに覚えているその様子から、
人格者の雰囲気がおおいに漂っていました。

私はとにかく、「動いている父の映像」が見たい!!
想像するだけでもう涙がでちゃいます。。

P1110370.jpg

右から2番目の小さいのが私。。。↓

P1110160.jpg

姉と藤原さん ↓

P1110159.jpg

藤原さんの会社「メディアワン」

http://www.mediaone.co.jp/xoops/html/
(ごあいさつ、というところに藤原さんのお顔がちょっと見れます。)





[ 2009/07/27 21:50 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)
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